志村けんに学ぶ、仕事を楽しむ心の持ち方

日本の偉人

日曜の夜、家族で笑った記憶

日曜日の夜8時。子どもの頃、我が家のテレビはいつも決まったチャンネルに合わせられていた。画面の中では白塗りの殿様が家来に無茶ぶりをし、変なおじさんが奇妙なダンスを踊り、たらいが誰かの頭に落ちてくる。家族全員がリビングに集まって、声を上げて笑う。あの時間が、子ども心に何よりも幸せだった。

今日は、読者リクエストのあった志村けんさんから学ぼうと思う。その名前を聞いただけで、多くの日本人の脳裏には何かしらの笑いの記憶が蘇るはずだ。バカ殿様、変なおじさん、ひとみばあさん。数々のキャラクターを生み出し、老若男女を問わず笑わせ続けた国民的コメディアンである。

先日、7歳の息子が動画サイトで志村けんのコントを見つけて大笑いしていた。「ママ、この人すっごい面白い!」と興奮する息子に、私は少し驚いた。志村さんが亡くなったのは2020年。息子が生まれるよりも前のことだ。それなのに、世代をまたいで子どもの心をつかんでしまう。言葉の壁どころか、時代の壁すら軽々と飛び越えてしまう笑いの力に、改めて圧倒された。

しかし、その裏側にあったものを知ったとき、私は笑いよりも深い感動を覚えた。テレビの前の私たちが見ていた「何も考えていなさそうなバカ」は、実は想像を絶する努力と準備の上に成り立っていたのだ。

IT企業で日々タスクに追われ、正直なところ「仕事が楽しい」と胸を張って言えない日も多い私にとって、志村けんの仕事への向き合い方は、思いがけないところから飛んできた強烈なカウンターパンチだった。

「努力を見せたら手品のタネ明かしと同じ」

志村けんを語る上で避けて通れないのが、ドリフターズのメンバー仲本工事さんの言葉だ。

「加トちゃんが天才型なら、志村は努力家」

相方の加藤茶さんが天性の感覚で笑いを生み出すタイプだとすれば、志村さんは裏で膨大な時間をかけて笑いを設計し、磨き上げるタイプだった。グループで津軽三味線に取り組んだとき、練習を続けて弾きこなすようになったのは志村さんだけだったという。

しかし、志村さんはその努力を決して表に出さなかった。彼自身がこう語っている。

「頑張ったとか、努力したということを、ことさら強調する奴がいるけど、それって手品で、すぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。いとも簡単にやっているようで、実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備があるからこそ、金を取れるモノになるわけなんだから」

この言葉を読んだとき、ドキッとした。

思い返せば、会社で何か成果を出したとき、私はつい「これ、めちゃくちゃ大変だったんですよ」と周囲にアピールしてしまうことがある。深夜まで資料を作り込んだこと、何度もやり直したこと。苦労話をセットにして成果を報告することで、頑張りを認めてもらおうとしていた。

でも志村さんの言葉に照らすと、それはまさに手品のタネ明かしだ。本当のプロフェッショナルは、どれだけ血のにじむ準備をしていても、舞台の上では涼しい顔で「簡単そうに」やってのける。その落差こそが価値になる。過程をひけらかした瞬間、成果そのものの価値が目減りしてしまうのだ。

志村さんの元付き人によれば、彼はどれだけ仕事で帰宅が遅くなっても、毎晩必ず1本は映画を観ていたという。コントのヒントを探すためだ。その理由を志村さんはこう語った。

「俺が寝ている間にもっと努力してるヤツがいるかもしれない。そう考えたら不安になるから、映画を観たほうが落ち着くんだよ」

圧倒的な準備量。そしてそれを一切見せない美学。お笑いという世界の頂点に立ち続けた人の、これが流儀だった。

一日を「すみません」から始めたくない

志村さんの仕事人としての姿勢を象徴するもう一つのエピソードが、時間に対する考え方だ。

志村さんは常に、現場に30分から1時間前には到着していたという。その理由が実に明快だった。

「遅刻すると、すみませんから一日が始まってしまう。一日をすみませんから始めたくない」

これを知ったとき、私は思わず自分の朝を振り返って冷や汗をかいた。

3歳の娘あかりのイヤイヤ期と格闘しながらの朝は、毎日が時間との戦いだ。「自分で靴を履く!」と主張するあかりを急かしながら保育園に送り届け、満員電車に飛び乗り、始業ギリギリに席に滑り込む。息を切らしながらパソコンを開き、「間に合った……」と胸をなでおろすところから一日が始まる。

間に合ってはいる。遅刻はしていない。でも、心の余裕はゼロだ。始業直後のミーティングでは頭がぼんやりして議論についていけず、午前中いっぱいはエンジンがかからないまま過ぎていく。

志村さんが言う「すみません」は、単なる遅刻の謝罪のことだけではないと思う。余裕のない状態で一日をスタートすること自体が、その日のパフォーマンス全体を下げてしまう。始まりの質が、一日の質を決める。彼はそのことを肌で理解していたのだ。

もちろん、幼い子どもを抱えた共働き家庭で「1時間前に出社する」なんて現実的には難しい。でも、5分だけ早く家を出る努力はできるかもしれない。前日の夜に翌日の準備を済ませておくことはできるかもしれない。「すみません」ではなく「おはようございます」から一日を始めるための小さな工夫は、探せばきっとある。

志村さんの時間術は、壮大な精神論ではなく、一日の入口をどう整えるかという極めて実践的な知恵だった。

マンネリはスタンダード・ナンバーだ

志村けんのコントには「またこのパターンか」と思わせるお決まりの展開が多い。バカ殿が家来にいたずらを仕掛ける。変なおじさんが登場して踊る。だいじょうぶだぁのお約束。

「マンネリだ」という批判は当然あっただろう。しかし、志村さんはそれを気にしなかった。むしろ胸を張ってこう言い切った。

「マンネリ=スタンダード・ナンバーだと考える」

ジャズの世界では、誰もが知っている名曲のことをスタンダード・ナンバーと呼ぶ。何十年も演奏され続ける定番曲。それは「古い」のではなく「普遍的」なのだ。志村さんは、自分のコントのお決まりパターンを、まさにそのスタンダード・ナンバーと同じだと捉えていた。

この考え方は、日々の仕事に対する見方をガラリと変えてくれる。

私はIT企業で働いていて、毎週同じフォーマットのレポートを作成し、同じような定例会議に出席し、同じ手順でシステムの保守作業を行っている。正直に言えば、「またこれか」という気持ちになることは少なくない。ルーティンワークの繰り返しに、自分の成長が止まっているような焦燥感を覚えることもある。

でも、志村さんの言葉に従えば、それはスタンダード・ナンバーなのだ。毎回同じように見えて、実は微妙にアレンジを加え、精度を上げ、質を磨き続けることで、それは「マンネリ」ではなく「定番」になる。お客さんが安心して聴ける名曲になる。

志村さんも、お約束のパターンを繰り返しながら、その中で細かいアドリブや間の取り方を少しずつ変えていた。同じに見えて、決して同じではない。そこにプロの矜持があった。

毎週作るレポートの一文を少しだけわかりやすくする。定例会議での報告の順序を見直してみる。そういう小さな磨き上げの積み重ねが、いつか自分だけの「スタンダード・ナンバー」を生むのかもしれない。そう考えると、ルーティンワークへの向き合い方が少し変わる気がした。

「バカに徹する」という覚悟

志村けんが生涯を通じて貫いたもう一つの美学がある。それは「バカに徹する」ということだ。

師匠筋にあたるコメディアンの東八郎さんから、志村さんはこんな言葉を受け取っている。

「芸人が利口ぶったり文化人面するようになったらおしまいだ」

この教えを、志村さんは最後まで守り抜いた。テレビのコメント番組で偉そうに社会を論じることもなければ、自分の芸論を高尚に語ることもなかった。ただひたすら、画面の中でバカをやり続けた。白塗りの殿様として、変なダンスを踊るおじさんとして。

しかし、その「バカ」の裏側には恐ろしいほどの知性と計算があった。志村さんは、時にコントの中に笑いを一切排除したシリアスな無言劇を挟み込むことがあった。チャップリンやキートンといった喜劇王たちの技法を研究し、自分の笑いに昇華させていた。言葉に頼らないその芸風は、在日米軍兵士にまで愛されるほどだったという。

「バカに徹する」とは、何も考えないことではない。自分の役割を深く理解し、その役割の中で最高の結果を出すことに全神経を集中させるということだ。

これは、仕事における「自分の持ち場」の考え方と重なる。

私も会社の中で、つい自分の担当外の領域に口を出したくなることがある。「もっとこうすればいいのに」「あのチームのやり方は非効率だ」。でもそういうとき、自分の持ち場の仕事が疎かになっていることが多い。目の前のタスクを完璧にこなす前に、よその畑を耕そうとしてしまうのだ。

志村さんは、自分の持ち場である「笑い」に、生涯をかけて徹底的に集中した。利口に見られたい欲求、認められたい承認欲求、そういったものを全部捨てて、ただ「目の前の人を笑わせる」という一点に全エネルギーを注ぎ込んだ。

その潔さが、40年以上にわたって第一線で活躍し続けた秘訣だったのだろう。

「知ってて損することはない」

志村さんの仕事術の根底にあるのは、あくなき好奇心だ。彼はこう語っている。

「ムダなことでもなんでも知ってた方がいい。知ってて損することはないから」

「常識を知らないと本当のツボというものがわからない」

一見すると矛盾しているようで、実は深くつながっている。ムダに見えることも含めて幅広い知識を蓄えておくこと。そしてその土台の上に立って初めて、本当に面白いもの、本当に価値のあるものが見えてくる。

毎晩映画を1本観ていたという習慣も、この考え方の延長線上にある。コメディ映画だけでなく、ドラマ、サスペンス、ドキュメンタリー。あらゆるジャンルの作品から、笑いのヒントを探し続けていた。直接的に役に立たなくても、いつかどこかで点と点がつながる瞬間を信じていたのだ。

私自身、仕事に直結しない本を読んだり、業務外の勉強会に参加したりすることに、どこか後ろめたさを感じることがあった。「今の仕事に関係ないことに時間を使うのはムダではないか」「もっと効率的にスキルアップすべきではないか」。そんな効率至上主義に縛られていた。

でも志村さんの言葉を聞くと、その「ムダ」こそが、自分だけのオリジナリティを育む土壌になるのだと気づかされる。先日、趣味のカフェ巡りで知り合った全く違う業界の人との雑談から、仕事の企画書のアイデアが生まれたことがあった。一見ムダに見えた時間が、思いがけない形で仕事につながった瞬間だった。

効率だけを追い求めると、視野はどんどん狭くなる。志村さんが教えてくれたのは、「ムダ」を恐れずに知識と経験の引き出しを増やし続けることの強さだ。

私の「すみません」をやめた朝のこと

志村さんの仕事哲学を知ってから、私は一つだけ実験的に変えてみたことがある。朝の過ごし方だ。

きっかけは、ある月曜日の朝だった。いつも通りあかりの「自分で!」攻撃に翻弄され、息子の忘れ物を取りに戻り、保育園で先生に引き渡したあと、ダッシュで駅に向かった。結果、電車を一本逃し、始業に3分遅刻した。「すみません、電車が……」と言い訳しながら席に着いた自分が、ひどく情けなかった。

その夜、夫がリヴァプールの試合のハイライトを観ながら(こちらも毎晩のルーティンだ)ビールを飲んでいる横で、私は志村さんの「すみませんから始めたくない」という言葉を思い出していた。

翌日、私は夜のうちに子どもたちの翌日の準備をすべて済また。あかりの服は、本人が選んだものを枕元に並べておく。息子のランドセルは玄関に置いておく。自分の仕事のカバンも前夜にセットしておく。

たったそれだけのことで、朝に10分の余裕が生まれた。

その10分で何が変わったか。あかりが「自分で靴を履く!」と言ったとき、以前なら「早くして!」と急かしていたのが、「うん、やってごらん」と待てるようになった。息子が「ママ、今日ね」と話しかけてきたとき、「あとでね」と遮らずに「なに?」と聞けるようになった。

朝の10分の余裕は、子どもへの接し方を変え、それが自分の気持ちの余裕にもつながった。会社に着いたとき、「すみません」ではなく「おはようございます」から一日を始められるようになった。たった10分。されど10分。志村さんの30分には遠く及ばないが、確実に一日の質が変わった。

志村けん流・仕事を楽しくする5つのヒント(まとめ)

志村けんの仕事哲学から学んだことを、自分なりに整理してみた。

ヒント志村けんの流儀日常への応用
努力は見せない裏で血のにじむ準備をしても、舞台では涼しい顔苦労話をセットにせず、成果そのもので語る
一日の入口を整える常に30分〜1時間前に現場入り前夜の準備で朝に5分でも余裕をつくる
マンネリを誇りに変えるお約束パターンを「スタンダード・ナンバー」と捉えるルーティンワークの中に小さな改善を重ねる
持ち場に徹する「バカに徹する」覚悟で笑いに集中担当外に気を取られず、目の前の仕事を磨く
ムダを恐れない毎晩映画を1本観て引き出しを増やす仕事に直結しない経験も自分の肥やしにする

志村さんは2020年3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。70歳だった。最後の最後まで新しいコントの構想を練っていたという。

「手を抜こうと思えばいくらだって抜ける。つまらなくなってしまうのは目に見えている。だから、やっている間はとことんまでやるしかない」

この言葉は、仕事に疲れた夜、ふと投げやりな気持ちになったときの私のお守りになっている。

仕事を楽しくするための魔法なんてない。でも、目の前のことに手を抜かず、小さな準備と小さな好奇心を積み重ねていくことはできる。その先にきっと、「つまらない」が「面白い」に変わる瞬間がある。あの日曜の夜、テレビの前で家族と笑っていたときのように、仕事の中にも笑える瞬間を見つけていきたい。志村さんが一生かけて教えてくれたのは、結局そういうことだったのだと思う。

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