仕事でチームをまとめる立場になったり、家庭で何か新しいことを始めようとしたりするとき、誰もが一度はぶつかる壁がある。どうしてこの人は、自分の思い通りに動いてくれないんだろうという苛立ちだ。
自分の熱量が相手に伝わらない。いくら説明しても響かない。しまいには、もう自分でやったほうが早いと抱え込み、ひとりで空回りして疲れ果てる。
私自身、IT企業で働きながら、似たような失敗をいくつも重ねてきた。良かれと思って提案した業務改善のアイデアが、同僚には余計な仕事が増えるだけと受け取られ、チーム全体がギスギスしてしまったこともある。
そんなとき、ふとテレビで目にしたひとりのサッカー監督の姿が、私の凝り固まった考え方をほぐしてくれた。ドイツ出身の名将、ユルゲン・クロップだ。
低迷していた名門を信じる集団に変えた男
サッカーに詳しくなくても、ユルゲン・クロップという名前と、あの特徴的な笑顔、そしてピッチサイドで感情を爆発させる姿を見たことがある人は多いだろう。
彼は、ドイツのマインツやドルトムントといったクラブで旋風を巻き起こし、2015年にイングランドの名門リヴァプールの監督に就任した。当時のリヴァプールは、かつての黄金期の輝きを失い、長い低迷期にあった。選手もファンも、どうせまた勝てないという重苦しい空気に包まれていた。
クロップが就任して最初にやったことは、戦術の変更でも大型補強でもなかった。彼は就任会見で、ファンに向けてこう言い放ったのだ。
「疑う者から、信じる者に変わらなければならない」
(原文:We have to change from doubters to believers.)
これは単なる耳当たりのいいスローガンではなかった。彼は本気で、クラブに関わるすべての人たちのマインドと空気を変えようとしていた。彼が選手たちに求めたのは、ミスのない完璧なプレーではなく、ミスを恐れずに全力で走ること、そして味方がミスをしたら全力でカバーに走ることだった。
結果として、リヴァプールは数年のうちに劇的な復活を遂げ、ヨーロッパの頂点に立ち、悲願だったプレミアリーグチャンピオンにも輝いた。彼がもたらしたのは、戦術を超えた圧倒的な熱量と信頼だった。
情熱は、論理よりも速く人に伝染する
クロップのリーダーシップの根底にあるのは、途方もない情熱だ。彼ほど感情を隠さず、ピッチサイドで喜び、怒り、悔しがる監督は少ない。
仕事の場面では、「感情を出すのはプロフェッショナルではない」と考えられがちだ。私自身もずっとそう思っていた。会議では常に冷静でいなければならない。論理的に、筋道を立てて説明できれば、人は納得して動くはずだと信じていた。
でも、論理だけで人は動かない。理屈ではわかっていても、心が動かなければ行動には移せないのだ。
数年前、チームで新しいプロジェクトを立ち上げることになったときのことだ。私はリーダーとして、緻密な計画書を作り、メンバーになぜこれをやるべきかを理路整然と説明したつもりだった。でも、振り返ってくる反応は鈍かった。「言っていることはわかりますが」という、見えない壁を感じた。
その話を、大のリヴァプールファンである夫に愚痴ったことがある。夫はスマホで試合のハイライトを見ながらあっけらかんと言った。「そりゃそうだよ、misaが面白そうに話してないもん。クロップみたいにベンチで情熱を出さないと、誰もついてこないよ」。
ハッとした。私は正しいことを説明することに必死で、自分自身がそのプロジェクトを「面白い」「やりたい」と思っている感情を、まったく出していなかったのだ。
クロップを見ていると、情熱が伝染するということがよくわかる。彼がガッツポーズをして叫べば、ファンも一緒に叫ぶ。彼が諦めずに鼓舞し続ければ、選手も諦めずに走り続ける。リーダーの熱こそが、周りを巻き込む最強のエネルギーなのだ。
失敗を許容し、心理的安全性を担保する
情熱と同じくらいクロップのチームマネジメントで際立っているのが、選手への絶対的な信頼だ。
彼のチームは、ハイプレスと呼ばれる、前線からものすごい運動量で相手を追いかけ回す戦術をベースにしている。これは、誰か一人がサボったり、ポジションを間違えたりすれば、一気にピンチを招くリスクの高い戦い方だ。当然、ミスも起こる。
しかし、クロップはミスの内容で選手を責めることはしない。「ミスは起きるものだ。大事なのは、ミスをした直後のリアクションだ」と彼は言う。ミスをした選手をカバーするために残りの選手が全力で走る。その姿勢を何よりも評価するのだ。
これは心理的安全性そのものだろう。失敗しても、それが挑戦の結果であれば許容される。むしろ、失敗を恐れて挑戦しないことのほうが問題視される。この土壌があるからこそ、選手たちは思い切ったプレーができる。
私の職場でも、ミスに対する不寛容さがチームの動きを鈍らせていると感じることがある。「怒られないように」「責任を問われないように」というディフェンス重視の意識が強くなると、新しいアイデアは生まれなくなる。
育児でも同じだ。わが家には7歳の息子と3歳の娘がいるが、特に上の子は今、何でも自分でやりたがる時期だ。先日も牛乳を自分で注ごうとして盛大にこぼした。つい、「だから言ったのに」と怒鳴りそうになったが、ぐっと飲み込んだ。彼なりの挑戦の結果としての失敗だからだ。「次は両手で持ってみようか」と声をかけるだけで、次からは慎重に、でも得意げにコップに注げるようになった。
もし最初からダメ出しをして手を取り上げていたら、息子の「自分でやりたい」という気持ちはそこで萎んでしまっただろう。身近な関係であればあるほど、相手の失敗や未熟さを許容し、「大丈夫、次やってみよう」という空気を作ることが大切なのだ。
すべてをコントロールしようとしない
クロップは稀代のモチベーターであると同時に、優れた権限委譲の達人でもある。彼はサッカーの専門的な部分、たとえばスローインの技術向上や、選手の栄養管理などに関しては、それぞれの分野の専門家をスタッフとして招き入れ、彼らに全幅の信頼を置いて任せていた。
自分一人ですべてをコントロールしようとしない。自分は空気を変えることと大枠の方向性を示すことに注力し、あとは各分野のプロフェッショナルを信じて委ねる。
言うのは簡単だが実行するのは難しい。リーダーシップというと、誰よりも仕事ができて、全部の状況を把握しているスーパーマンを想像しがちだ。私もかつてそう勘違いしていた。後輩に仕事を任せきれず、結局自分で手を出してしまい、お互いに不満を溜めるという悪循環に陥ったことは一度や二度ではない。
「ここは自分の専門外だから教えてほしい」「君の得意分野だから任せたい」。そう素直に言えるリーダーのほうが、実は周りから信頼され、チームとしての力は最大化される。クロップの姿は、そんな弱さを見せられる強さを教えてくれる。
まずは自分が一番のファンになる
ユルゲン・クロップから学べることはたくさんある。情熱を隠さないこと。失敗を恐れない空気を作ること。相手を信じて任せること。
でも、一番の根本にあるのは、彼が誰よりもリヴァプールというクラブと、そこにいる選手たちのファンであったということだ。彼が選手を見る目は、監督としての厳しい目であると同時に、彼らのポテンシャルを誰よりも信じているファンの目だった。
仕事の同僚。後輩。そして家族。私たちは、身近な人たちの一番のファンになれているだろうか。
欠点を指摘する評論家になるのは簡単だ。でも、相手を本気で信じ、その可能性にワクワクし、一緒に一喜一憂するファンになることができれば、関係性は必ず変わっていく。
明日、打ち合わせでチームのメンバーと顔を合わせるとき。あるいは、子どもたちが新しいことに挑戦するのを見守るとき。ほんの少しだけ、クロップのように信じ切る姿勢を意識してみようと思う。完璧にできなくてもいい。その小さな意識のシフトが、重苦しい空気を入れ替える最初の風になると信じて。



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